絶対座標を考えることに意味はない
5月29日付の日記「相対性理論などわからん!!」のつづき。
ようやくわかってきた。
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まずはこれから。
2機の等速直線運動をしている宇宙船が周囲に何もない空間ですれちがっています。
この場合、どちらが動いていてどちらが止まっているのでしょうか?
どちらがどう、っていうのは決められない。なぜなら座標系の設定しだいでどうにでもなるから。2機の宇宙船をAとBとすると、
座標をAに固定。
- Aは止まっていてBは動いてる。
座標をBに固定。
- Aは動いていてBは止まっている。
座標をAでもBでもない場所に固定。
- AもBも動いてる。
ということですよね。うむ。
次。
「光速に近い速さで飛ぶ宇宙船を月面から見ると、宇宙船の時間の進み方が遅くなる」
しかし逆に、
「宇宙船から月面を見ると、月面の時間の進み方が遅くなる」
これも上のやつと同じ考え方。どちらが動いてるってのは決めることができないから現象はすべて「おたがいさま」なわけ。
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とりあえずこんな感じでどうでしょうか。
つまり、誰から見るかっていうのがポイントで、絶対的な基準などない。でも光の速度は誰から見ても一定ということ。
考えるときには一つ一つの立場(座標)ごとに考えて徹底的な個人主義に走ること。相手の立場を思いやってしまうと混乱のきっかけとなる。
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個人的な感想としては「インチキくさい」というか、「ズルイ」というか、なんかそんな感じ。
そして先はまだまだ長い。あと20ページくらい・・・。